今回は初心に立ち返り、改めて私の「シャツに対する想い」を綴ってみたいと思います。 これを最初の「前書き」だと思ってお読みいただければ幸いです。
私はこれまで34年間、シャツというものに携わってきました。 その時々で様々な思考が巡りますが、一つだけ、とても大切にしている価値観があります。それは私個人の考えというより、シャツの本質を表す言葉ではないかと思っています。
「シャツは下着であり、消耗品である」
これが、シャツの根源にある私の答えです。 世の中には非常に高価なシャツもあれば、安価なシャツもあります。どちらも否定はしません。ただ、シャツには寿命があり、決して長く保つアイテムではないということは紛れもない事実です。
よく「良いシャツ」として、非常に高価で一見手の込んだものが取り沙汰されます。しかし、そうしたシャツは必ずしも「着る人」の方を向いていません。本当に着る人のことを考えて作られていれば、そこまで高額にはならないはずだからです。
もちろん、高価なシャツへの憧れや需要があることも理解しています。 しかし、そうしたシャツの多くは、作り手がメディアやSNSでの見栄えを意識し、自己主張したがっている、いわば「カメラ目線のシャツ」なのです。 本当に良いシャツは、自己主張をしません。 あくまで主役は「着る人」であり、シャツはそれを引き立てる名脇役であるべきです。
私は、お客様がシャツを大切に扱ってくださる姿を見ると本当に嬉しく思います。 ですが、大切にするあまり着ることをためらってしまうのは、本来の意味からすると疑問が生じてしまいます。 シャツは「着てもらってなんぼ」です。 日常でガンガン着ていただいて初めて価値が生まれる、それがシャツなのです。
例えば、美味しいスイーツ。眺めるのも、SNSでシェアするのも楽しいことですが、やはり食べて美味しく味わうことに一番の価値があるのではないでしょうか。 車もそうです。コレクションとして所有するのも財産ですが、本来の価値は乗って走らせることにあります。 シャツも同じで、袖を通して着ていただいてこそ、価値があるものです。
スーツやジャケットと違い、着ることによる消耗が激しいのがシャツです。 言葉は悪いかもしれませんが、「消耗品」であることは否めません。どんなに気を使って保管しても、時間が経てば変色や劣化は避けられません。 そうなる前に、どんどん着てほしいのです。
市場価格の10倍もするような「プレミアムなシャツ」を見かけることがあります。 それを否定はしませんが、日常的に気兼ねなくガシガシ着られるかと言えば、甚だ疑問です。特別な瞬間のための一着としては良いでしょう。 ただ、それだけお金をかけるのであれば、ジャケットやバッグなど、より耐久性の高いアイテムに投資してほしいと私は思います。
大切にしすぎて着なくなってしまったら、シャツ本来の役割からは遠ざかってしまいます。 だからこそ、私は凝りすぎた高価なシャツを扱うつもりはありません。 日本の技術、世界の技術は、実際にシャツを「着ていただくため」に使いたいのです。
超高価なシャツを生涯にわたって着続けている方にお目にかかったことはありません。そうしたシャツを着るのは、長い人生のほんの一時です。 毎日着るものだからこそ、気兼ねなく着てほしい。 それがシャツにとっての幸せだと、私は信じています。
