私がシャツ作りに携わり始めたのは18歳のころでした。
幼い頃から真摯にシャツを作り上げていく父親の姿をみて、育ちました。
そして自分がシャツ作りを始めたころの80年代後半、会社はブリティッシュトラッドの
ブランドの専属工場として、シャツとブラウスを日々生産していました。
VANに勤めていた有名なパタンナーの方とも出会え、私も少しずつ技術や知識を得て
シャツ作りのレベルアップを図ろうとしていました。
その矢先。そう、ちょうどバブル崩壊の時期(1990年頃)でした。
仕事は本当に突然、シャツの製造は安価なアジア圏に委託され、
国内の製造はほぼ皆無となったのです。
それまで取引していたブランドも撤退などしてしまい、
1993年のころ、ヤマナカシャツには事実上、仕事がありませんでした。
その頃の生活は、その日をどう過ごせるか考えなくてはならない毎日でした。
父は隠居生活が余儀ない状況になってしまい、シャツに関わる仕事は
海外工場ではできない手間のかかる作業のみでした。
ほかはアルバイトで食いつなぎ、スポーツのインストラクターをしたり、
税理士の資格を勉強したり、まずは生活基盤を作るために必死でした。
一方で「ベトナムでシャツ作りを現地で教えないか」のようなお声掛けもあり、
それこそヤマナカシャツの品質がよかったからこそのお話だったのですが、
なぜか乗り気にはなれませんでした。
今思えば、このころはヤマナカシャツと私自身の人生の大きな岐路でした。
結果論ですが一つひとつの判断が将来に大きく繋がっていて、
例えば会計の仕事も、安定的な収入につながったのですが
ぶっちゃければ他人の会社の数字を見ていても私には楽しくはなかったのです。
インストラクターの仕事も結構平等に指導しなければならず、ちょっと偏ると
クレームがついてしまうなど、なかなか難しいものでした。
ただそうした経験があったからこそ、やはり自分にはシャツ作りしかないんだと
確認できたので、やはり大切な時期でした。
そしてここからが、新たなヤマナカシャツのスタートです…つづく。
(写真は1980年代の有限会社ヤマナカ・現株式会社ヤマナカシャツの社員)